樹海の戦士/赤鬼氏

 小さな頃から、男の子たちに混じって遊んできた。一番好きな遊びはチャンバラごっこ。
 おばあちゃんに昔話をせがむ時も、お姫様と王子様の恋物語じゃなくて英雄達の冒険物語を真っ先にお願いした。
「女の子なのにねぇ」って、おばあちゃんは笑ってたけど、強い勇者たちが同じくらい強い悪者や怪物と戦う話が一番わくわくして好きだった。
 大きくなってもそれは変わらなかった。友達と一緒に恋の話や、きれいな服の話をするのも勿論楽しかったけれど、やっぱり一番好きなのは武器を振るう事と強くなる事だった。
 だから、あたしは冒険者になった。


   『樹海の戦士』


「ねえサクヤさん、あたしこの依頼受けたいっ!」
 エトリア。
 『世界樹の迷宮』と呼ばれる自然の巨大迷宮のそばに在り、迷宮の探索を目的として集う冒険者達によって栄える街。
 その街でも特に数多くの冒険者が集まる金鹿の酒場で、一人の少女が新しい羊皮紙を片手に酒場の女主人にずいっと詰め寄っていた。
 年の頃は十六、七歳くらい。ぼさぼさ気味の鮮やかな赤毛を肩下まで伸ばした活発そうな少女である。厚手の革鎧に身を包み、斧と盾を背負っていることから、この少女も迷宮に挑む冒険者である事がうかがい知れる。身体つきは年相応だが、引き締まった四肢が彼女の肉体がよく鍛錬されたものである事を物語っていた。
「アスカさん、あなた本当にこの依頼を受けるつもりなの? この依頼を今までにこなす事が出来た人は一人しかいないのよ?」
 酒場の女将サクヤが、目の前の少女アスカに確認するように聞き返す。
 依頼の内容は、迷宮の地下13階に現れる強大な蟹の魔物『水辺の処刑者』を倒してくること。それだけならば、さほど難しい依頼ではない。アスカの所属するギルド“サーチャーズ“でも既に何度かこの魔物を倒した事があるし、他にも達成できるギルドは数多く存在するだろう。
 条件として、次の一文が無ければ。
 『ただし、“一人だけ“で目的を達成し、街まで帰還すること』
「もちろん本気! 今のあたしなら、きっとクリアできると思うんだよねー」
 その条件を知ってなお、アスカは元気よく返答したが。
「こら。何を無茶な事言ってる。やめとけ」
「あ、ちょっとジェイガン、何すんのさ!」
 手にしたクエストの依頼書を突如後ろから取り上げられ、アスカは抗議の声を上げた。
「このクエストは難度が高い。お前にはまだ早い」
 ジェイガンと呼ばれた大柄な体躯の男性が、むすっとした表情でひったくった羊皮紙をひらひらさせる。その身体を包むのは、いかにも頑丈そうな金属鎧。聖騎士の象徴である大盾を携えた姿が頼もしい。
「えー、別に早くないよ。あたしだって前よりずっと強くなったし、今ならきっとあのカニだって倒せるよ!」
「……確かにお前は強くなった。今なら一人でもあの魔物を倒せるかもしれん」
「じゃあ」
「しかし『倒せるかもしれん』だ。失敗したら死ぬ。勝てる見込みが十分にあるならともかく今のお前をそんなリスクの高い勝負に挑ませる訳にはいかん」
「でも、倒せる可能性があるなら挑戦してみてもいいでしょ、けちー!!」
「ダメだ」
 ジェイガンのにべもない言葉に手足をじたばたさせて文句を言うが、帰ってくる言葉は変わらない。それでもなお、食い下がろうとしていると。
「アスカさん、ワガママ言ってはダメですよ」
「う。クレアさん……」
 その場に現れた、長く柔らかな金髪を持つ女性を見て、アスカは声を詰まらせた。
 ギルドで回復や治療を担当しているメディックのクレアが、眉根を寄せたやや厳しい表情でそこに立っていた。普段は穏やかで優しい人物なのだが、こういう時の彼女をアスカは苦手としていた。母親に似ているからだ。容姿がではない。雰囲気が。昔も外で危険な遊びをして帰ると、母がよくこんな表情で出迎えてくれたものだ。
「ジェイガンさんの言う通りですよ。あまり危険な真似をしないでください」
「でも……」
「アスカさん」
 それでもしつこく悪あがきをしようとすると、静かだが有無を言わさぬ口調で遮られた。
「お願いですから、あんまり危ない事はしないでくださいね」
「む、クレアの言う通りだ」
「ううっ……」
 ジェイガンとクレアに真っ向から強い眼差しを向けられ、アスカはたじろいだ。
「……ああもう、分かったよー! やめればいいんでしょ、やめればー!」
 父親と母親のような二人に強く反対されては自分の無理は押し通せない。アスカは口を尖らせながら、降参するかのように大きく両手を上げた。

「……なんてね」
 酒場での問答から二日後。アスカは一人、樹海の第三階層――千年ノ蒼樹海に降り立っていた。
 一度は大人しく諦めたふりをしたものの、元々そんなに聞き分けがいい方ではない。あの二人がいない時を見計らって酒場に駆け込み、クエスト依頼書をひったくるようにして強引に受領し樹海磁軸を使ってここまでやって来たのだ。
「ジェイガン、クレアさん、ごめん」
 後ろめたさが残る。二人が自分の身を心配して止めてくれた事は、勿論アスカとて理解している。それでもやっぱり、自分がどれだけ強くなったのか試してみたい。その思いを止める事は出来なかった。そうまでして、このクエストにこだわり続けるには理由がある。
 氷の剣士レン。

 初めて彼女に会ったのは、第一階層だった。未熟な自分たちのパーティーが魔物相手に苦戦しているところに颯爽と現れ、あっという間に敵を斬り伏せてしまった。
 戦っている彼女を見ている時、自分はさぞかし間抜けな顔をしていたことだろう。何故なら――見惚れてしまっていたから。彼女の刀さばきに。それは正しく『剣舞』という言葉がふさわしかった。
 軽やかに。優雅に。滑らかに。華麗に。鋭く。疾く。力強く。
 まるで舞うように立ち回る彼女の操る、流れるような武器の軌跡が通った後には、ただ一刀の元に命を絶たれた凶暴な魔物達の骸が残るのみだった。戦っている彼女はとても美しくそして――圧倒的に強かった。物語の中の英雄達にも劣らないその強さに、何よりも憧れた。
 自分もあんな風に強くなりたい。心からそう思った。

「とと……、こんな事思い出してる場合じゃなかった」
 アスカは頭をぶんぶんっと振って、回想へと向かってしまった意識を慌てて現実へと引き戻した。今はこれからの戦いに集中しなくては。
 樹海磁軸のある小部屋の扉をそっと開き、きょろきょろと左右に広がる道を見回す。どうやら周囲に敵はいないようだ。本命の相手と戦うまで余計な戦いは避けたい。
「んしょっ……と」
 素早く扉をくぐり抜けて通路を早足で駆け抜け、下層への階段へと向かう。幸い、特に何事もなく目的のフロアに着けそうだった。
 地下12階の蟻の女王が巣くっていた広場を通り過ぎる時、横目でちらりと『彼女』が鎮座していた場所に目をやる。初めてこの場所を訪れてあいつとやり合った時に比べたら、自分は――いや、自分達はずっと強くなったはずだ。
「よっ、と」
 階段の最後の数段を飛び越して、地下13階にトンと降り立つ。アスカの腰からぶら下がった荷物袋のアイテム同士がぶつかり、かちゃりと小さな音を立てた。
 周囲一面に広がる蒼の世界。
 水晶のような煌めきを放つ木々が立ち並び、澄んだ空気が満ちた空間は、ここがまるで深い海の底であるかのように錯覚させる。
「さて、どうしようかな」
 水路沿いの細い通路にたどり着き、辺りを見回す。
 戦うべき相手、水辺の処刑者は普通の状況下では姿を現さない。普段は水中に潜んでいるが、生物同士の争いの気配を察知すると水中から飛び出し、獲物が他の相手に気を取られている隙を狙って襲いかかってくるのだ。
 クエストを達成するためには、まず適当な戦う相手を探さなくてはいけない。
「ん? あれは……」
 アスカの視界の隅に、通路の先の大きな丸っこい影が飛び込んでくる。
 森林ガエルだ。群れで生活する大型のカエルで、危険を察知すると仲間を呼ぶ習性を持つが、個体の強さはそれほどでもない。今のアスカにとっては恐れるような敵ではない。目的の相手を呼び寄せるための囮としては丁度良いだろう。
「うん。よしっ! じゃあ行くよっ!」
 アスカが武器と盾を抜いて駆け出すと、それに気付いたカエルたちも一斉に鳴き声を上げて襲いかかって来た。
「たぁっ!」
 とりあえず、一番近くにいた奴の脳天に攻撃を叩きつける。アスカの一撃が正確にカエルの眉間を捉えると、頭を割られたカエルは血を撒き散らしながら、数度痙攣するとあっけなく動かなくなった。
 アスカの武器は斧。鋭さや速さよりも、一撃の威力を重視した武器だ。
 一度は氷の剣士の華麗な戦い方に憧れ、剣の扱いを極めてみようかと思ったこともある。しかしやはり、武骨で力強いこの武器が自分には合っていると感じ、今日まで己なりのやり方で鍛錬を続けてきた。
 二匹、三匹。
 襲い来るカエルたちの攻撃をかわし、受け止め、素早く反撃を繰り出し、それぞれを葬り去り、残り一匹にまで追い詰める。
 その瞬間、不意に後方に大きな気配が出現したのをアスカは感じ取った。
 ――来た。
 カエルなどとは比べ物にならない強烈な殺気。それが背後からじりじりと近づいてくる。こちらが敵に気を取られている隙を狙おうとしているのだ。
 じわり、と斧を持つ手に生まれた汗を慌てて服の裾で拭いつつ、いつでも相手に対処できるよう、アスカは意識を後方へと意識を集中させた。
 深呼吸をして、落ち着いて相手との距離を測る。
 10メートル、5メートル、3メートル――敵の間合い!
 殺気が膨れ上がる一瞬を感じ取り、アスカが身をひねって横に跳ぶとほぼ同時に、空を薙いだ一撃が轟音と共に地面を割った。
「やっと会えたね!」
 体勢を立て直しながら相手に向き直り、アスカは不敵に笑った。使うべき場面を間違えたようなセリフだが、待ち焦がれた相手という意味では違いはない。
 熊のような巨大な体躯に、鋼鉄のような強度を誇る堅い殻。そして、数多の獲物を文字通り処刑してきたであろう、巨大で鈍重な鋭い双の鋏。
 『水辺の処刑者』がそこに居た。
「シギャアアァァァ!」
 初撃をかわされ、水辺の処刑者がまるで苛立つかのような鳴き声を上げ、鋏を振り回す。その攻撃を後ろに跳んでかわしながら、アスカは腰から下げた瓶を取り外し、中身を斧の刃に素早く塗りつけた。ぼうっという音と共に、彼女の髪と同じ色の炎が刃より立ち上る。
 武器に炎の属性を付与するファイアオイル。物理攻撃では傷をつける事すら難しい相手の強固な鎧に対抗するために用意してきたものだ。
 空になった瓶を投げ捨て、アスカは改めて相手と向き合った。一層強烈になった殺気がぴりぴりと肌を刺す。
「やあっ!」
 大きく息を吐き、大地を蹴って素早く相手との間合いを詰める。まずは真っ直ぐに胴体を狙いに行った。
 しかし、水辺の処刑者は意外な程機敏にアスカの側面に回り込み、その一撃をあっさりとかわすと、反撃を繰り出してくる。横殴りの一撃が唸りを上げてアスカを襲う。
「くっ!」
 すかさず身を沈めたアスカの頭上を、高速で鋏が通り過ぎていく。背中にジワリと冷たい汗が噴き出してくる。少しでも反応するのが遅ければ、脳天を打ち砕かれていただろう。そのまま突撃の勢いを生かして前方に転がりながら、相手とすれ違った。
「……分かってはいたけどね」
 間髪置かずに起き上がり、体勢を立て直す。1対1の状況下では、相手もこちらの動作に集中している。真っ向からの攻撃ではまず通用しそうにない。巨体に似合わず、相手は俊敏だ。
「それならっ!」
 再度突撃を繰り返し、今度は直前で横っ跳びに跳んで突撃の軌道を変え、相手の巨体の陰に、死角に入り込むように移動する。狙いは、足。まずは巨体の動きを支える足を殺して、相手の機動力を奪う!
「ギィッ!?」
 間近での軌道変化に着いていけず、水辺の処刑者がアスカの姿を見失う。その機を見逃さずに相手の無防備な足の一本に全力で斧を叩きつけた。重い手ごたえと共に、炎の熱で焙られた甲殻がばきりと砕け散り、刃が足の半ばまで深く食い込む。
「ギイィィィィィ!」
「もういっちょ!」
 苦悶の悲鳴を上げて怯む相手の隙を逃さず、別の細い足を狙って追撃し、斬り飛ばす。切り落とされた足から緑色の体液が派手に飛び散った。
「ギシャァァァ!」
 だがそこで、痛みから立ち直った水辺の処刑者の鋏が、低い軌道を描いて、足元にいるアスカを薙ぎ払おうとする。アスカは咄嗟に構えた盾でその攻撃を受け止めながら、自身も後ろに跳んで衝撃を逃がそうとしたが。
「ぐうっ!」
 盾の表面ががりがりと削られ、攻撃を受け止めた左腕がギシギシと軋み、全身にも少なからず衝撃が走り、後ろに数歩たたらを踏みながら着地する結果になった。
「痛ぅ~……」
 左腕に軽いしびれが残る。
 ああもう、ジェイガンならこのくらいの攻撃、完全に受け切れるだろうに。
 いつもパーティーの盾となる、そして今はこの場に居ない仲間の頼もしい姿を思い出す。
「ギィシャアアァァァ!」
「うわっ、と!」
 息をつく暇さえも与えてくれず、怒り狂った水辺の処刑者の巨体が猛然と迫る。
「まだこれからが本番って事だね……!」
 改めて武器と盾をしっかりと握りしめる。そう、これまでの攻防などまだ始まりにしか過ぎないのだ。
 恐れはある。不安もある。だが、それでも強敵との戦いは何より胸が躍った。

 水辺の処刑者の巨大な鋏が時に槍となって風を貫き、時に剣となって空を薙ぎ、時に槌となって地面を砕く。
 それらの攻撃を盾で叩くようにして弾き、武器で力の方向を変えて受け流し、寸でのところで見切ってかわし、攻撃の隙を縫って反撃を加えていく。
 ――いける。
 一連の攻防の間に、アスカは徐々に勝利への道筋を見出しつつあった。最初に相手の機動力を奪ったのが功を奏したらしい。相手の動きがしっかりと見える。
 だが、決め手となる一撃はまだ加えられていない。それを放つだけの隙を見つけれらない。
「なら、反対側もっ!」
 隙が無いなら作ればいい。反対側の足も同じ方法で殺せば、より大きな隙を生み出す事も可能だろう。
 そう考え、一旦相手から距離を取り、今度は助走をつけて一気に距離を詰める。相手の直前で一気に方向変換し、先程とは逆の死角に回り込む。後は、このまま目の前の足を切り落とせば――。
 ガヅン
「……え……?」
 重い衝撃と共に視界が一瞬にして紅く染まる。脳が揺さぶられ意識が定まらない。まるで自分の身体が宙に浮いているかのような感覚。
 いや、実際に浮いていた。自分の身体が大きく弾き飛ばされている事に気づくまで、数瞬の時間を要した。相手がこちらの狙いを読んで、ご丁寧にも待伏せの一撃を叩きこんでくれたらしい。状況を理解すると同時に、身体がぐしゃりと叩きつけられた。
「ぐぅっ……!」
 再び意識が飛びかけるが、振り下ろされてくる次の攻撃をぼやけた視界で捉え、地面を転がりながら何とか避けると、そのまま転がって距離を取りながら身を起こす。
 未だ衝撃の残る頭部を腕で軽く拭うと、ぬるりという湿った感触と共に手甲がべったりと赤く汚れ、濃い鉄の匂いが鼻を突いた。頭から派手に出血しているらしい。視界がまだぐらついているが、一撃で頭を砕かれなかったのは幸いと言うべきか。
 腰から下げたメディカの瓶の中身を思い切り傷口にぶちまけてわしわしと擦り、血を洗い流す。薬の血止めの効果と併せて、赤くかすんだ視界が回復していく。
「さて、と……」
 肩で息をしながら考えを巡らせる。もう同じ手段は通用しそうにない。このままで決着をつけるしかなさそうだ。出来るのか、今の手負いの自分に。
「やるしかないよね」
 あれこれ考えるのは性に合わない。腰からアクセラの小瓶を外し、一気に喉に流し込む。すぐに腹の奥底が沸々と熱くなってくる。多分もう次は無い。出し惜しみはしない、これで最後だ。
「ギイイィィィィィィ!!」
 迫りくる水辺の処刑者の動きを凝視する。次の動作に繋がる、どれほど僅かな兆候すら見逃すまいと。
 相手の次の一撃は――右腕の振り下ろし! 盾を持つ左上を頭上に構え、全神経をそこに集中させる。周囲の時間の流れが遅くなっていく感覚。チャンスは一瞬。
 ――不意に盾の重みが僅かに変わり、何かが盾に触れた事を察知する。『何か』が何なのかは考えるまでもない。
 盾に加わる重みを左腕で感じながら、身体の重心を右側に移動させ、ゆっくりと――実際には刹那の瞬間で――力を込めながら左腕を起こす。盾の動きに強引に誘導されて攻撃の軌道が僅かに左に逸れ、アスカの頭と左肩を掠めて脇を通過し、大地に着弾する。アスカの赤い髪が一房刈り取られ、宙を舞った。相手の攻撃を受け流した事を認識した瞬間、再び時間が元の速さで動き出す。
「はああぁぁーーっ!」
 間髪いれずに、今受け流したばかりの相手の鋏を左腕で支えにして、裂帛の気合と共に両脚で大地を蹴り、相手の頭上に大きく跳躍する。眼下に水辺の処刑者を見据えながら、そのまま全体重を乗せて斧を相手の眉間に叩きつけた。
 終わらせる、こ の 一 撃 で!
 アスカの渾身の一撃がめきめきと音を立てて強固な甲殻を打ち砕き、ずぶずぶと分厚い肉を押し潰していく。
「ギィーーーーーッ!」
 水辺の処刑者が苦痛に身悶えし、攻撃から逃れようとする。まだ足りない。相手の強靭な生命力を断ち切るには、この一撃でもまだ足りない。
「うおおおおおっ!」
 ぎりりと歯を食いしばり相手の胴を踏みしめ、盾を投げ捨て両腕で斧を握りしめる。熱く疼く腹の底から力を振り絞り、あらん限りの力で斧を押しこんだ。。
 ずぶり
 不意に斧から伝わる手ごたえが一際鈍いものに変わる。
「イィィ……」
 それが戦いの終わりを告げる音。
 かすかな呻きを最後に、水辺の処刑者の巨体が力なく崩れ落ちた。

「か、勝った……?」
 倒れた水辺の処刑者の骸の上で、荒い息をしながらアスカは呆然とつぶやいた。徐々に戦いの高揚感が引き、勝利したという実感が押し寄せてくる。
「ん~~~~っ……!」
 ぐっと両拳を握りしめ、ぷるぷると肩を震わせて勝利の喜びを噛みしめる。目標と定めた相手のいる高みにまた一歩近づけた事が何よりも嬉しかった。
「やったぁーっ! クエスト達成ー!」
 右手を大きく上に突き上げて、高らかに達成宣言。と、同時に戦闘の緊張で忘れていた疲労がどっと押し寄せてきた。
「おっとと……ふぇ?」
 ふらついた体勢を立て直して、はたと周囲の状況に気付く。自分でも思いの外、間抜けな声が出た。
 カエルがいる。カエルだ。カエル、カエル、カエル――。囲まれている。どうやら先ほど一匹だけ残しておいた奴がいつの間にか仲間を呼び寄せていたらしい。
「うわ~、こいつらも倒さなくちゃいけないのか……」
 冒険者の必需品アリアドネの糸は持って来ているが、街に帰還するには、まず目の前の敵を片づけなくてはならないようだ。
「よし、もうひと踏ん張り!」
 盾を拾い上げ、武器を構え直す。かなり疲労しているが、こいつら位なら問題ないだろう。

 その考えが思い違いであると思い知らされたのは、アスカが七体目のカエルを切り伏せた時だった。
 おかしい。
 相手の数が全く減らない。
「えいっ!」
 アスカの斬撃がまた一体のカエルを屠る。
 それと同時に別の個体が仲間を呼び、新たな一体が現れる。
「このっ!」
 アスカは斬撃がまた一体のカエルを屠る。
 それと同時に別の個体が仲間を呼び、新たな一体が現れる。
「とぉっ!」
 アスカは斧がまた一体のカエルを屠る。
 それと同時に別の個体が仲間を呼び、新たな一体が現れる。
「やぁっ!」
 アスカは斧がまた一体のカエルを屠る。
 それと同時に別の個体が仲間を呼び、新たな一体が現れる――。一体を倒す間に別の個体がまた仲間を呼ぶ。アスカの武器が剣ならば一度に複数の敵を倒すことも可能だっただろう。だが、斧では敵を纏めて葬る手段が無い。いくら倒しても、キリが無い。

 教訓:樹海では目に見える危険だけが脅威とは限らない。

 しかし、本当の脅威はまだ別の場所に存在していた。
 不意に後方に強大な気配が現れる。既に相対したものと同じ強大な気配。ぞくりと背筋が寒くなり、嫌な汗が流れる。先程の余裕など微塵もない。すぐに気配の源を確認する。否、確認するまでもない、新たなる水辺の処刑者がそこに出現していた。どうする。今の自分は疲弊しきっている。用意した道具も薬も既に無く、明らかに勝ち目はない。相手は既に獲物――自分を狩るべく剛腕を振りかざしているというのに、身体がすくんで動かない。
 全身に走る衝撃。気付いた時には相手の攻撃を全身でまともに食らっていた。
「あぐぅっ!」
 風に弄ばれる木の葉のように身体が宙を舞い、受け身すら取れずに大地に叩きつけられる。身体が砂利にがりがりと削られ、血と泥で彩られていく。
「ぐ……ぅぅ……あぅっ!?」
 苦痛に呻いていると、身体が不意に持ち上げられた。――水辺の処刑者の大鋏によって胴体をがっちりと挟み込まれている。自分は今まさに『処刑』されようとしているのだ。
「うぅっ、は……なせぇ……!」
 身をよじり、必死に拘束から逃れようとするが、万力のような剛腕はビクともしない。そして抵抗も空しく、鈍く重い刃を伴った万力がアスカの身体に食い込み始めた。
「うああぁぁーーっ!」
 アスカの苦痛の絶叫が周囲にこだまする。肋骨がミシミシと悲鳴を上げ、肺が押しつぶされて呼吸が出来なくなり、徐々に意識が薄らいでいく。
 あー、あたしここで死ぬんだ。
 これまでに樹海の中で多くの冒険者達の亡骸を目の当たりにしてきたせいだろうか。自分でも意外なほど冷静に事実を受け入れていた。
 自分の道がここで終ってしまう事に対する悔しさの方が、死の恐怖よりも大きかった。ギルドの仲間達――ジェイガンやクレア、ハヤテにもスレイドにも迷惑をかけてしまうだろう。
 水辺の処刑者の鋏により一層の力が加わろうとしているのが分かる。もうすぐ自分の胴体は両断されるだろう。かすかに聞こえる風の唸りが、自分がこの世で聞く最後の音になるのか、と考えた始めた時。
「ギイイィィィィィ!!」
「……え?」
 突然の水辺の処刑者の悲鳴と共に、自分を締め付けていた圧力が緩み、身体が地面にどさ
りと投げ出される。何事かと見上げた相手の巨体の眼に、一本の矢が深々と刺さっていた。
「おい、アスカ! おまえ大丈夫か!?」
 緑色の髪のレンジャーの青年――ギルドマスターのハヤテ――が血相を変えて駆け寄ってくる。他のメンバーも後ろに続いていた。
「えぁ、えっと、あ、うん。大丈夫」
「ったく、お前無茶し過ぎ! 後で説教! だがまあ、今は先に……こいつだな」
「シィギャアアァァァァ!!」
 駆けつけたハヤテの睨みつける先で、片目を潰された水辺の処刑者が憤怒の雄たけびを上げ、新たに現れた連中もまとめて叩きつぶさんと両鋏を振り上げていた。
「そうはいかん!」
 アスカ達と相手との間にジェイガンが割って入り、構えた盾で怒りの一撃をがっしと受け止める。真正面から攻撃を受けてなお、その背中は一歩として揺らがない。
「スレイド。術式の準備は?」
 ジェイガンが振り向かずに、背後の声をかける。そこでは、黒髪のアルケミスト――スレイドが両手の手甲を精密に操作していた。
「ああ、問題ない」
 触媒の調整完了を確認し、スレイドが胸元から顔を上げた。手甲外部の歯車状の金具を操作し、貯蔵部内の触媒を粒状に砕きながら指先の起動部へと抽送していく。
「悪いが」
 大きく腕を振りかざし、触媒の粉末を空中に散布する。
「これで終わりだ」
 手甲同士の外殻を打ち合わせ、火花で触媒に着火する。解き放たれた業火の奔流が、水辺の処刑者を呑みこみ、消し炭に変えるのにさほどの時間は必要なかった。

「……はい、とりあえずはこれで大丈夫」
「うん、ありがとうクレアさん。いてっ!」
 応急処置が終わった途端、上から頭をぽかりと小突かれた。
「いきなり何すんのさ、ハヤテ」
「ばーか、ありがとうじゃねえだろ、勝手に無茶な真似しやがって。もう少し俺らが来るのが遅かったら、お前死んでたぞ。それにまず、皆に言う事があるだろ?」
 見上げた先にはハヤテの真剣な顔があった。周りを見回すと、他のメンバーも黙ってこちらをじっと見つめている。そうだ、まずは言わなくてはいけない事がある。
「……勝手な真似してごめんなさい」
「本当ですよ! 取り返しのつかない事になってたかもしれないんですからね!」
「まったくお前は。あれほど危険な真似はするなと言っただろう!」
「阿呆が」
「ううっ」
 一斉に叱られ、アスカは座ったまま頭をしゅんと垂れた。子供の頃に悪さをして両親からこっぴどく叱られた時の事を思い出す。実に懐かしい思い出だが、残念なことに全くありがたくはない。
「ったく、このバカ野郎」
「うううっ」
「このバカ、アホ、無謀、単細胞、無鉄砲、向う見ず、腕力馬鹿脳筋突撃娘ジャイアントモア災いの巨神貧乳ゴールドホーングリンブルスティドゥームバイソン」
「な、何もそこまで言わなくてもいいじゃないのさー! ていうか、今どさくさに紛れて何かひどい事言ったー!?」
「だがまあ」
 さすがに頭に来て、ハヤテに食ってかかろうとした瞬間、頭をわしわしと撫でられた。
「無事でよかった」
 リーダーとして仲間の身を本当に案じていた事が、その一言から伝わってくる。
「……ホントにごめん。助けてくれて……ありがと」
「もう、こんな無茶するんじゃねーぞ」
「……うん」
 素直にうなずいた。普段は馬鹿みたいな真似してる事が多いけど、こういうところはやっぱりリーダーなんだなあと思う。
「じゃあ、そろそろ戻るぞ。ほらよ、立てるか?」
「うん、大丈夫」
 差しのべられた手を取って立ち上がると、安堵感からか忘れていた事を思い出した。
「あ、そうだ。クエスト達成した事、サクヤさんに伝えに行かなきゃ」
「その件なら、とりあえず人をやって伝えさせておくから、正式な報告は後にしておけ。まずはケフト施薬院で、ちゃんと診てもらった方がいい」
「ここでは私も簡単な処置くらいしかできませんからね。そうしてください」
「そう? 分かった、そうする。じゃあ、帰ろう!」
 自信に満ちた足取りで歩きだす。全身はまだ傷の痛みで悲鳴を上げていたけれど。
 困難に打ち勝った自分が、今は何よりも誇らしかった。

「ごめんなさい。悪いけれど、このクエストを達成したとは認められないわ」
 翌日、金鹿の酒場でアスカ達を待っていた女将の言葉は、実に無情だった。
「ちょっとサクヤさん、クエスト失敗ってどういう事!? あたし、ちゃんと一人であのカニを倒して来たよ!?」
 納得がいかない。何でクエスト達成と認められないのか。文字通り、噛みつかんばかりの勢いで、アスカは食ってかかった。
「その事なんだけど……クエスト依頼書の達成条件をもう一度見てもらえるかしら」
「達成条件?」
 言われて、手にしたクエスト依頼書に目を落とす。
「え~と、『ただし、”一人だけ”で目的を達成し…………街まで帰還すること…………』」
「あなた、確かに一人で水辺の処刑者を倒したけれど、その後、皆と合流して街まで戻って来たでしょう? だからクエスト達成とは認められないって、ギルド長が」 
 この依頼はエトリアの冒険者ギルドから発せられている。ギルド長であるガンリューには、クエストの成否を判断する権限があるのだ。
「そ、そりゃあ、確かに細かい事言えばクエスト達成できてないのかもしれないけど……でも、あくまでもメインはカニを倒すところなんだし、そこはちゃんと一人でやったんだから、ちょっとくらい大目に見てくれても!」
「ええ、私もそう思って何とか認めてもらえないか掛け合ってみたんだけれど……」
「そ、それでなんて?」
「『バランスのいいパーティーを組んだか? いい加減なパーティーじゃ後々苦労するぜ』って……」
「ごまかすなあぁぁーーっ!!」
 思わず全力でツっこむ。
「とにかく、『クエスト達成とは認めん』って。……ごめんなさいね」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ」
 カウンターに突っ伏してわなわなと肩を振るわせるが、これ以上彼女に文句を言っても仕方が無い。クエスト失敗というギルド長の判断は覆せそうにない。
 と、ふと最も簡単な解決方法を思いつく。
「あ、じゃあもう一回挑戦するって事で」
 ごごん
「あいたぁっ!」
「「おまえ、ちょっとは懲りろ!」よ!」
 ジェイガンとハヤテの拳骨が揃って後頭部にめり込み、アスカは頭を押さえてカウンターに突っ伏した。
「どうやら、全然反省してないみてーだな。……おーし、なら俺にも考えがある。なあ、サクヤさん」
「はい、何かしら?」
「突然ですまないけど、しばらくこいつを雇ってもらえないかな。体力だけは折り紙つきだぜ」
「ええーっ!? ハヤテ、ちょっと何言い出すのさー!?」
「いいから、お前はちょっと黙ってろ。で、どうかな、サクヤさん?」
 アスカの頭をカウンターに押さえつけて、ハヤテは返事を促す。
「人手は欲しいから、私は構わないけど……」
「じゃあ決まりだ。好きなだけ、こき使ってやってくれ」
「だから、あたし抜きで話を進めないでよ! 大体なんであたしがそんな事しなきゃいけないのさ!」
「まずは今回無茶した分の罰。それにおまえ、ストックしておいた薬品やらアイテムやら勝手に持ち出しただろ」
「う……」
 クエストの報酬分で埋め合わせをしようと考えていたのだが、失敗した今となってはそうもいかない。
「てなわけで、異論はないな?」
「……うー、分かったよー! やればいいんでしょ、やればー!」
 まるで先日の再現のごとく、アスカは両拳を上に突き上げた。

「……で、何なの、この恰好」
 仕事着として用意された服に着替えて、アスカはわなわなと肩を震わせていた。
 濃紺のワンピースに、フリルの付いた白いエプロンのエプロンドレス。それにお揃いの白いフリルの付いたカチューシャの組み合わせ。
「うむ、よくぞ聞いてくれてた。それはな、『メイド服』というものだ」
「いや、それは分かるから。あたしが聞きたいのは、なんでこんな恰好しなきゃいけないのかってこと。普通にウェイトレスするなら、別にこんな服じゃなくていいはずだよね?」
「そう、確かにウェイトレスをするなら普段着にエプロンでも十分だが、お店の倉庫にこいつを見つけた時の胸のときめきを抑えきれずにサクヤさんに頼みこんで譲ってもらったはいいものの着てもらう相手がいなくてどうしようかと思っていたところに丁度お前がここで働くことになったからついでに着せてしまおうと考えたわけで、つまるところ俺の趣味だっ!」
「胸張って言う事かぁー!」
 手にした箒をぶんぶんとハヤテに向かって振り回すが、ことごとく避けられた。
「アスカさん、よく似合ってて可愛いですよ~」
「もう、クレアさんもからかわないでよー!」
「あら、私は本当に可愛いと思ってますよ。それにアスカさんも女の子なんですから、たまにはお洒落してみてもいいんじゃないですか」
「うー、こういうのはお洒落っていうのと、ちょっと違うと思う……。それに、こういうフリフリした服ってなんか苦手」
 スカートの裾をちょんと摘み上げる。そもそもスカートを履くこと自体、何年振りだろう。足元がスースーして落ち着かないし、何だか恥ずかしい。
「ほら、折角可愛いって言ってくれる奴が居るんだから、さあキリキリ働け」
「お前が言うなー!!」
 それを機に店内で始まる鬼ごっこ。
「やれやれ」
 そんなに嫌なら着なきゃいいんじゃないのか。
 店内をドタドタと駆け回る仲間二人を尻目に心の中で呟いて、カウンターのスレイドは呆れたようにグラスをあおった。

「こんなの認めない~!!」
 金鹿の酒場に、今日も元気に冒険者の声がこだまする。

キャラ名: アスカ
年齢: 16
性別: ♀

割とアホの子です。
赤ソド子は格好よくて可愛いので、最愛です。

話の方は実話に基づいています。
斧ソド子でクエストに挑戦したら、残ったカエル一匹が
延々仲間を呼び続けて、二匹目の水辺の処刑者に乱入
されて・・・hageました。

まあ、その辺はさすがに改変しておりますがw
お楽しみいただけたら幸いです。

赤鬼氏/ある日の鬼ヶ島(仮)